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8 2011.3.11に思う

2011.3.11に思う。

「3月23日追記
現在も被災地のガレキを受け入れることに反対の人たちがいます。表面上正論ですが・・・
静岡県島田市長が受け入れを表明しましたが、それに反対する人達も多くいます。風評被害でお茶が売れなくなったら困るという栽培農家は、被災地が風評被害で苦しんでいることを知りながら、自分は風評加害者側の立場でものを言う。
若い子供をもった女性達は、自分の子供が放射能被害に遭う可能性のあるガレキ受け入れは絶対受け入れられないといい、被災地に住む多くの子供のことなど眼中にない。
他人の不幸には同情し義援金を出しボランティアで参加するが、その災害処理で自分の周辺に極めてわずかでも被害が及ぶ可能性のある災害処理には絶対反対する。
これでいいのでしょうか?自分の住む自治体はどうですか?恥ずかしながら、柳井市は市長から反対していることを知りました。残念です。」

以下、3月11日前に書いた文章です。

 2011.3.11に発生した東日本大震災・大津波被害・原発事故の衝撃はあまりに強烈で言葉を失ってしまいました。

その後のTV報道で、大震災と違って30分以上の猶予が生かせなかった大津波被害、砂上の楼閣だった原発安全神話と災害発生時のあまりにお粗末な対応の酷さに驚愕すると共に、なぜこれほどまでに災害時の対策が無力だったのか、特に人災の面が大きい原発事故については怒りさえ覚えてきます。

 今回の被害を大きくしたことを象徴する言葉が「想定外」です。災害に対する準備は尽くしていたが、今回の地震と津波が想定外の大きさだったから仕方がないという、開き直りの論理です。

 しかしながら、その後の報道等で過去の津波に対して想定の津波が小さく見積もられて、その見積もりによって災害対策や災害時の非難計画が立てられていたことが判明してきています。原発については、さらに地震や津波の大きさを小さく見積もった対策しかなく、全電源喪失などの最悪シナリオに対する準備がなされてこなかった事実があります。

 逃げる時間があったのに、無駄に時間を費やし、挙句の果てに逃げる場所を誤り多くの小学生を死なせた・・・
 津波に耐えられない避難場所に避難して亡くなった人達・・・

 安全だから、想定外の事象そのものを否定して対応してこなかった原発・・・
 混乱するからと、低く見積もった情報しか出さなかった政府・・・
 スピーディーの存在を知りながらそのデータ活用を進言しなかった官僚や原発関係者・・・情報がなく、避難した南相馬市の住民は風下に逃げていたため、避難先で被爆したという怒りの現実・・・
 原発再稼動のために、被害を矮小化しようとしたとしか思えない東京電力の対応・・・責任逃れも度が過ぎます。

 これまで自然災害に対しては、不運で誰が悪いわけではないということで納得してきた国民が多かったと思う。
しかしながら、これほどの災害に対して検証をしていくと、不運だったのはこれまでの政府など行政の対応だったことが判って来ました。防災に対しては「想定外の規模の災害」は有り得ないと、自ら都合のいい過去のデータの内容で対策を立てて万全としてきていたのです。特に原発に関しては、これがはなはだしい・・・

 せめて、今回の災害を未来に生かすとしたら、「災害に想定外はない」という観点で今後の災害対策を立てていくということでしょうか・・・なんらか、考え方の制度化が必要かもしれません。

 最後に、原発は全廃すべきです。
原発を再稼動しないと電気料金が2~3割上昇するなどといっていますが、今回の福島第1原発の建設から稼動中、事故後の全費用を計算したら原発が経済的にも成立しないことは明らかです。日本はこれで3度目の大きな原子力による被害を受けました。江戸幕末頃からの会津福島の苦難はこれからも続きます。なんということでしょう。

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